長さより、深さ。友情について思うこと。
2012年 06月 19日
彼女は前の職場で一緒だったのですが、ともに在籍したのは2年。一緒に仕事したのはたった1年でした。
しかし、なんというか、お互いが、お互いにないものを持っている(彼女のご主人評)、という間柄で、性格も年齢も全然違うのに、彼女は、私の大親友といっていい存在です。
彼女が転勤したとき、ちょうど森山直太郎の「さくら」が大流行してました。
子どもを保育園にお迎えに行って、ちょうど家についたとき、カーステレオから、森山直太郎の「さくら」の、「さらば友よ、惜別の時」という歌詞が聞こえてきて、ハンドルに突っ伏しておいおい泣きました。
「さくら」が2003年だそうですので、もう9年前のことになります。
しかし、お互い離れ離れになっても、ずっと友情は続き、会えないときが続いても、気持ちはつながっていられました。
先週の土曜日、まるでその前日も同じ職場にいたかのように、彼女に寄り添うことができて、本当にうれしかったです。
友情は、本当に、長さではなく、深さなんだ、と思います。
そして、物理的に一緒にいれば、友情は育まれる、というものでもない。
離れていても、互いを思う気持ちがあれば、友情を育むことができるし、手と手をつなぎつづけることもできる。
けれど、その一方で、「つないでいよう」という意志がなければ、するすると手はほどけていってしまうのも、また事実です。
それはきっと、恋愛でも同じなのでしょう。
いま、わたしがつないでいる、と思う手を、これからもしっかり握っていることができますように。
そして、普段は、手をつないでいることを忘れていても、お互いがお互いを必要とするときには、すぐに、つないだ手に力をこめて、握りしめることができますように。